サークル連合を抜けるということは、すなわち自分の作品の発表場所を奪われるということ。
それを三年生の先輩みんなで決めてしまって、自分は蚊帳の外だったのかと思うと、激しい動悸に襲われた。
息がふさがる思いだった。苦しい。苦しい。―もういっそ、死んでしまいたい。
「とりあえず、この薬だしときますからね」
白髪のその医師は抑揚のない声で告げた。毎日のようにお世話になっていた大学の保健室の先生に紹介してもらった心療内科。
自分と同じように空を虚無的な目で見つめている患者が、そこには大勢いた。年齢は三、四十代から二十代のサラリーマン風まで。
現代はうつ病に罹りやすい時代と言われているが、まさか自分もこうなるとは。美鈴はただただ、ぼんやりとしていた。
広告研究会の内輪のイベント、ミスK女子大学コンテストは間近に迫っていた。しかしそれへの熱意も失せていた。サークル連合を抜けたことで
全身の力が抜けてしまったようだった。
医師には思いのたけを思い切りぶつけた。自分がいかに理不尽な扱いを受けていたか、人間関係で悩んでいたか。
一通り聞いたあと、医師は簡潔に薬の処方を告げただけだった。やりきれない思いをどこにぶつけていいかわからないまま、
美鈴はクリニックを後にした。
薬は三種類出た。不眠を訴えたための睡眠薬、あとでネットで検索したところ、残りの二種類は抗鬱剤と示されていた。
薬は欠かさず飲むように言われた。服薬すると、塞ぎこんでいた気分はすっきりと晴れていく。効果てきめんだなと思った。
嫌いぬいていたサークルの同期とも笑顔で話せるようになり、文化祭のイベントは無事終了した。風の噂で、二歳年上の先輩もサークル内の人間関係で揉め、
精神を病んだのだと聞いた。
母親の勧告に従っておくべきだったかもしれない。でも。…もう後戻りはできない。これから一生薬と付き合って、生きていかなければいけないのだ。
美鈴は家についてようやく、昨日来た啓介へのメールを返した。
「大丈夫。ごめんね、心配掛けて」
「死にたい」と口にすることは周囲にとって多大な迷惑になる。それくらいはわかっていた。母親の晃子ともよくそのことで喧嘩をした。
日記に書くことだって大問題に違いない。啓介にそれとなく注意されたが、美鈴は聞き入れなかった。後で消すから、と。
一度画面に「死にたい」の文字が表示されると妙に落ち着く。リストカッターが手首の傷を作るように、それは精神の自傷行為だった。
「向こう側」に憧れ始めたのは、まだ美鈴が小学生だったころからだ。
一度美鈴は「向こう側」に行きかけた。小学二年生の時の交通事故。右手右足骨折。脳には異常なし。
脳をスキャンされるときの恐怖を美鈴は今でも忘れられない。車に跳ね飛ばされた時よりも、あるいは怖かったかもしれない。
跳ね飛ばされた瞬間は、ただただ驚きと、そのあとは年に似合わず諦観めいた考えが浮かんだ。
「―仕方ないよ!」
向こう側に行き損ねてから、美鈴には様々な辛い出来事があった。
無論、楽しいこともあったのだろうが、記憶はそれらを打ち消し暗黒の部分だけを美鈴に突きつけた。
「…全然、大丈夫なんかじゃないってば」
ぽつりと呟いた。啓介には本当の自分を見せているようで見せていない。すべてを曝け出したら、きっと彼は自分のもとを去っていくだろうから。
今まで自分を捨ててきた多くの人間と同じように。
「居場所がほしかった。あたしだけの居場所。それをずっと求め続けていた」
神崎ユミの歌詞が流れた。明日もまた単調な仕事。そして課長の苦笑と、新入社員たちの笑い声と、くたびれきった通勤路。
「誰かにあたしを分かってほしかった。でもわかってほしくなった。それはあたしの望んだこと」
啓介は携帯画面の向こうで何を思っているだろう。初めて本気で「好きになった」かもしれない相手は。
彼も神崎ユミのファンだったから、もしかするとつい先日出た新曲を聴いているかもしれない。
最近の神崎ユミの曲は至極前向きだった。今流れているのは神崎ユミのデビューアルバムに収録されている、美鈴の大好きな曲だった。
タイトルは「UNTITLE」。神崎ユミの孤独と熱情が込められた曲。
つづく
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