第三話・CALL

 織田啓介(おだ・けいすけ)は恋人の美鈴からの返信がないことに少し戸惑っていた。
 彼女は見ていてとても危なっかしい存在なのだ。大学を卒業し、就職するもすぐにその会社を退社して以来、日記にはいつも後ろ向きなことばかり書く。
 時折、泣きそうになりながら(多分、受話器の向こう側では)電話してくることすらあった。
 「死にたい」彼女はしょっちゅうそんな言葉を口にした。啓介には彼女の気持ちがよく理解できなかった。

 仕事がいやなのか、それとも、この生活自体がいやなのか。だとしたら彼女を楽しませようといろいろと気を使ってきた自分はいったい何だったのだろうか。

 たくさん繰り返してきたデートだって、初めての告白や会合だって、自分にとっては大切な思い出なのに。
 生まれて初めてできた彼女の変化に啓介はどう対応すればいいのか分からなかった。どうにかしてやりたい気持ちは強かったが、そうするとますます美鈴を責めるような口調になってしまう。
 
 「………」

 「とりあえず」もう一度啓介はメールを入れた。「おーい、生きてるか?」洒落にならない言葉であった。しかし啓介はよくこんなメールを美鈴に送った。生存確認。そんな表現がぴったりのメール。

 美鈴は以前こう言ったことがあった。「今、踏切のそばにいるから」

 それを聞いて啓介は動揺した。
 もう、終電に間に合わない時間。駆けつけることすらできない。その場は何とか彼女をなだめて終わったが、それ以来啓介はいつも不安でいっぱいだった。いつ大切な彼女が自ら死を選んでしまうのではないかと。

 ―あいつ、何でそんなに死にたがるんだ?前はそんなんじゃなかっただろう?

 傍から見れば美鈴は遙かに恵まれているように見える。公務員の両親のもとで一人っ子長女として育ち、名門といわれる女子大学を出、正社員でこそないものの、ちゃんと勤めもしている。啓介にはよくわからないけれど、給料のほとんどを服につぎこみ、啓介の前にいつも違った服装で現れた。
 「お前にはご両親もいるし、友達もいるし、頼りにならない彼氏だっているだろう!」
 そう彼女にどなったことすらあった。

 美鈴は泣き声で「でもわからないの。…私、何で生きなくちゃいけないのかわからない」と答えた。

 啓介にだってわからない。でも、だからと言って死ぬことなんてないんじゃないか。



 


 啓介も就職活動はうまくいった口ではなかった。24時間営業のファミリーレストランに正社員として就職したものの、自分がいかに接客に向かないかを思い知らされ、半年でその会社を辞めた。新卒の時に「騙された」自分を呪った。
 今現在は出版社で制作の仕事をしている。アルバイトとして入社したが、正社員並みの働きをし、いずれは契約社員にとの声もかかっている。美鈴も自分のように適職を見つければあるいは変わるのではないかと啓介は思った。美鈴に勧めもした。
しかし美鈴は「私には事務しか向かないから」と言ってきかなかった。


 適職につけばあいつも変わるかもしれないのにな、…俺みたいな仕事は向いてないかもしれないけど。やるんだったらもっと楽しい仕事やればいいと思うんだけどな。


 啓介はもう一度携帯の画面を見つめた。去年作った雪だるまの写真の待ち受け画像が表示されているだけで、何の変化もない。

 おーい…生きてるか、美鈴。
 鳴らない電話をポケットにしまい、啓介は電車に乗り込んだ。
 啓介も職場からかなり離れたところで暮らしていたが、苦にはならなかった。自分に向いている仕事をしている充実感が、それを上回っていたので。

美鈴が「死にたい。さようならしたい」理由を知らないまま。



 つづく