WEB上で日記をつけ始めたのは、大学一年生の頃からだ。
小説を公開するサイトに付属した、コンテンツのほんの一部。最初は差し障りのない日常生活のことしか綴っていなかった。一年生―。窮屈だった高校生活から解放され、希望に満ち溢れていた、あの頃。
当時から美鈴はホームページ作りを趣味としていた。
内容は好きな漫画のイラストや二次創作小説など。掲示板を通しての読者とのやり取りも楽しかったし、一時期は毎日更新を続けていたことすらあった。
恋人の啓介と出会ったのも、インターネットのやり取りを通してからだった。啓介も精力的にホームページの更新に取り組んでおり、美鈴はひとりのファンとして啓介のホームページに足繁く通い、感想を電子メールで送り続けた。
時にはホームページの内容以外の会話すら交わすこともあった。啓介は美鈴より二歳上で、年が近かったせいもあり話題にも事欠かなかった。話を聞いているうちに意気投合し実際に会ってみようということになった。提案したのは啓介のほうからで、美鈴は多少のためらいはあったものの快諾した。ファンとして、彼に会えるのは純粋に楽しみだった。
出会った瞬間運命を感じたわけではない。場所は、新橋にあるやや高級な居酒屋だった。
啓介は取り立てて美形というわけでも、それでいて醜形というわけでもない顔をしていた。ただ、日本人離れした東南アジア系の印象が強い男だった。テニスをやっているというから、そのせいもあって日焼けをしていたのだろう。
二回目の会合で啓介は美鈴に告白をした。遊園地の中の、多少洒落たレストランの中。「今、彼氏いないんですよ」「それなら、僕と付き合ってもらえませんか」流れるような展開だった。
今、美鈴は自宅のパソコンの前に向かっている。パスワードを入力する画面になっていた。今まで書いた日記を修正する画面にログインした。
「さようならしたいです」の日記を丸ごと削除した。
―私は、来る人を脅かすのが目的でこんなことをやっているんだろうか。
これで何度目になるか分からない「さようなら」を画面の向こうにいる読者たちは「ま たか」と思って見ていることだろう。
でもその瞬間の気持ちは嘘ではなかった。退屈な日常に嫌気がさしていた。単調な仕事、出来の悪い自分に嫌気がさす仕事、一週間の大半を占めるその時間にいいかげんうんざりしていた。
それでも一昨年、無職だった時に比べればまだマシだったかもしれない。新卒として入社した最初の会社。美鈴は思ったように研修で成果を出せず、同期からの勧告もあって僅か二ヶ月で退社する羽目となった。
それから約二か月の間、美鈴は電車に乗れなくなった。電車の揺れる音に合わせてどくんとなる心臓の音。回る景色。色濃く蘇る自分の失態の数々…
気がつけば胸を押さえ、その場にうずくまっていた。
「あああ。ああああ…」
声にならない声が喉から漏れる。心配した会社員風の男性が「駅員さんを呼びましょうか」と尋ねてきたが、「次で降ります」と漸く断った。
あの時のことを思えば、今は何倍もましだ。
電車にも乗れるし、頭の回転も前よりはいい。
MDコンポのCDを入れ替えながら、美鈴は次に更新する小説の構想を練った。BGMはもちろん神崎ユミ、彼女の歌は創作意欲をもたらしてくれる。
啓介への返信がまだだったが、そのことは意識の片隅に追いやられていた。
「創作すること」
仕事にも生活にも生きがいを見いだせない美鈴にとって、それはかけがえのないものだった。
つづく 戻
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