何だか、とても疲れていた。
身体を動かすのがとてもだるくて。
目を開けている事すら億劫になっていた。

綺麗な青い空が見えた。
快晴と呼ぶのに相応しい、雲一つ無い、青空。

瞼が重い。

光が眩しくて、ゆっくりと目を閉じた。
身体の感覚が次第に無くなっていく。

まだ、眠っては、いけない。
頭の中でそうもう一人の自分が叫ぶけれど、もう意識が朦朧として、
その声に耳を傾ける事も出来なくなっていった。

まだ、眠っては、いけない。

誰かを待たせている気がした。
いや、待っていたのかも、知れない。

誰を…?

頭が軋む様に痛んだ。
誰か。

誰かを…。

一気に頭に熱い衝撃が跳ね、
そのまま、
視界が真っ暗になった。


最後の風景


「………」

目が覚めて、最初に感じたのは、身体中が酷く痛むという事だった。

そう、例えるならばそれは、
古びて刃の欠けたカッターナイフとかでぐりぐりと傷口を抉られているような、鋭くは無いけれど確実に蝕まれて行くような、そんな痛み。

思わず自分で自分の身体を抱きしめる。
ずきずきと痛んだ。

痛む箇所を見てみた。
包帯が巻かれていた。

―俺、どうしてこんな所に居るのかな。

確か、

ほんの少し前は、
ここではないどこかに、
居たはずなんだ。
でも、思い出せない。

どうして…?

思い出そうとすると、
頭が割れるように痛む。
だから、考えない事にした。

ふんわりと柔らかい枕に頭が沈んだ。
少し瞬きをして、周りの様子を見てみた。

白。
辺り一面、白。

どうやら自分が横たわっているらしいベットから、天井、壁、窓、机、椅子に至るまで、全てが色を失ってしまったかの如く白かった。

こういうのは、夢だけだと、思って居たんだが。ああ、俺は色つきの夢の方が、よく見ていた様な気がするけれど。

変な感じだな。

普段だったらもっとこの状況に驚くべきなのだろうが。

今はその事にあまり関心が持てなかった。

そうただ、今は疲れていた。
身体も痛いままだった。

目を閉じてみた。もう一度開いた。
やはり白い風景が眼前に広がっている。

それは先程と同じ。

ただ、
増えていた。
人間が。
真っ白な女が。

俺は少しだけ、驚いた。

「おはよう、目覚めた?」
「お前は…」

白い景色に溶け込んだ女は十四、五歳位。

「はじめまして、私、カズカっていいます」
まぶしい位の笑顔でその女「カズカ」は言った。

カズカは、ぼんやりとしたままの俺に、明るい調子で説明し始めた。

俺は「死んだ」と言う事。
ここは俺が思っているところの「天国」へ行く前に辿り着く場所だと言う事。
とっさには、信じられなかった。
だが、この不可解な景色の説明としては、
十分なものだったかも知れない。
何より、不思議とこの女の言う事は、全て真実なのだと。
どうしてかそんな気がした。

「ここに来る人ってだいたい自分が死んだって事、わかってないんだよね。
無理もないか。だって、死んだ時の病気や怪我の痛みとかは、全部残ってるから」
それには驚いた。
確信がある訳じゃないが、死んだらそれまでの痛みとかからは開放されるものだと思っていたから。
「それと、魂の傷もね。生きてた時に負った傷に加えて、魂が傷ついた分も、
全部今の状態に傷になって表れるんだよ。」
「…そうなのか」
死んでまで痛い思いをする羽目になるとは思わなかった。
何だか嫌だな、それは。

「あなたは、生きてる間に、随分傷ついたんだね、心も身体も」
カズカはそう言って、少し悲しそうに眉を顰めて俺を見た。
自分が何をしていたか、一体どこの誰なのか、そんな事は何も覚えていなかったが、そういう道理なら。

今の身体の状態を見ると、
カズカの言う通り、俺は傷ついたんだろう。


「ここはね、その傷を治す場所なんだ。天国に行く前に」
カズカはそう言うと、俺のすぐ側まで来た。俺の顔を、見上げた。
そうして優しく微笑んだ。
「私は、貴方の傷を治す為に、生まれたんだよ」


カズカは俺に言った。
傷ついた身体では「天国」へは行けない。
天国へ向かうのはとても大変なんだそうだ。
なかなか辿り着けなくてさまよう者もいるらしい。
「地獄」というものがあるとすれば、その天国に辿り着けない間さまよっている時の苦しみの事だろう、とカズカは話した。
なるべくそういう人を出さない為に、
なるべく最高の状態で天国を目指せる様に。
傷を治す。
でも、傷は一人では治せないんだそうだ。
傷を治す人間―心の傷も、身体の傷も両方治せる人間を側に付けて、
ここで充分に休んでから、出発するんだそうだ。

「そういう人はね、オーダーメイドなんだよ。やっぱり人にも相性ってあるじゃない?
だから、貴方たちが言う神様―っていうのかな?私の生みの親なんだけど、がその人の性格とか生い立ちとか全部考慮に入れて、一番相性が良い人間を作り出すの。で、あなたと相性ばっちりに作られたのが、私」
カズカはそう言ってにこっと笑った。本当に嬉しそうに。
「嬉しいなあ。私、生まれてからあなたに会うの、ずっと楽しみにしてたんだ」
俺は少し温かい気持ちになった。
「ゆっくり、一緒に傷、治そうね」
屈託の無い笑顔を向けられる。
よく笑う女だと思った。

そんなカズカの顔を見ると、不思議と懐かしい気持ちになった。

何も覚えていなかったはずなのに。
どうしてだろうか。
考えてみた。
また、頭が痛くなった。

「平気?」
カズカが俺の顔を覗き込んで、訊いた。
「…ああ。ただ、少し…頭が痛い気がする…」
「…眠った方が、良いよ」

カズカはそっと俺の顎のすぐ下まで掛け布団を引き上げて、優しい声で、言った。

「時間はたくさんあるから。だから、今はゆっくり休んで…」
カズカの声が小さくなった。
カズカの手が布団の上から俺を寝かしつけるように撫でている。
ゆっくりと、意識が綴じられて行った。


つづく


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